小学生のころはよく親に勉強をしろと口酸っぱくいわれた。
まあ、親としては勉強や宿題をまったくといってやらない私に対して根気よく相手をしてくれたものだと思う。
また、大学生になってからは塾講師をしていたが、生徒からなぜ勉強をする必要があるのかと質問されたものだ。
しかし、私はこの質問に対して、ドキッとする機会はほぼなかった。
というのも、自分の中では考えが固まっていたため。
そのときにどのように答えていたという話と自分が実践してきた考え方を紹介していく。
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前提条件として
勉強とは学校のように何のためにやるか不明確なものとする(資格の勉強や海外留学のための目的のための勉強等は除く)
理由として、このように勉強をする意味づけがしっかりされているものに関して勉強をする意味を聞かれることはない。
よって今回の話題からは除外する。
(目的が明確なものに対して、このような質問が出る時点で、その道に対して迷っている可能性が高いと考えられるため(勉強に対して悩んでいるわけではない)。)
良くある答えはこれ?
- 大人になって困るから
- 知識を得ることは尊い
- 良い大学に入って、良い就職先に入るため
- 選択肢を増やすため
- 夢の実現のため
- 私と同じように苦労しないため
- 立派な人になるため
- 将来幸せになるため
- 勉強が面白いから
- 世の中のためにより役立つ人になるため
- 多くの人とコミュニケーションをとるため
正直な話、これらの理由すべてが正解です。
しかし、現実問題として子供がこの答えで理解(納得)するかは別問題です(そもそも大人でもこの理由でしっかり動けるかは疑問)。
また、子供が遊ぶのを正当化するために“なぜ、勉強をするのか?”という問いを質問をしてくる場合があります。
その際は、子供は正当な理由(屁理屈)を用意しているので、反論するのは困難。
というか、考えをかえない前提で話をきているのでまず無理といっていいでしょう。
例)
子供:なぜ、勉強をしないといけないの?
親:立派な人になるためだよ?
子供:勉強をしないと立派な人になれないの?
親:そうではないけれど、より立派になるためだよ
子供:なんで、立派にならないといけないの?
親:・・・・・
このように延々と対応していくことになります。
それでも、なぜ勉強をするのか?という答えは明確にするべき理由
私もそうだが意味もわからない作業や仕事、勉強は苦痛。
小学校の低学年の子供であってもそうである。
子供だろうが大人だろうが、面白いものに関しては、当然率先的にやるので、問題ない。
むしろ禁止にしてもかってにやるぐらいだ。
しかし、興味のない勉強などの面白いと感じにくいものはやらない(私は勉強をするのは嫌いではなかったが、勉強を開始するのは苦痛だった)。
そのため、どうしても勉強をしないといけない動機づけ(理由)が一般的に必要になる。
その理由が腑に落ちれば、勉強の意味づけができるようになり、訳のわからないものをやらされていることはなくなる。
これにより、勉強をする量が増える可能性がある(あくまでも可能性)。
当然のことながら、腑に落ちていない場合は勉強量が変化しない(変化してもまれ)、逆に勉強しなくていいものと理解したら勉強量は落ちる。
親としては子供が勉強に励むように子供に理解できる言葉を用意する必要がある(勉強をさせる必要がないと考えているなら別だが)。
心だけでなく環境づくりも大事
これとは別に勉強を楽しい、面白いと思わせる環境作りも非常に大切である。
毎日の勉強が終わったら、カレンダーにシールを付けるなど、ポイント集めの要素をいれて楽しめるようにするなど。
勉強ではなく、シールを集めるための手段にしてしまうのも一つだ。
そうすれば、なぜ勉強するのか?の問いは発生しなくなる。
勉強を歩合制(お小遣い)にして、毎日何分したら、いくらのようなシステムにしてもいい。
お小遣いをもらうために勉強するという定義がでるので、勉強をするようになる。
このように長期的なビジョンでなくても、勉強をする理由づけをしてやればいい。
また、モノで子供を釣るようなシステムはちょっとと思う人は、すごいねぇと褒めてやるだけでもよい(勉強をまったくしない子供は筆記用具を準備したとか、机に座ったレベルでも褒めてやることが重要)。
そんなの当たり前すぎて褒めるに値しないと思うかもしれないが、そもそもそれができていないのが現状。
小さな一歩かもしれないが、準備が一つ進んだと思えば、大きな一歩といえる。
このように人間は得をしたと思えるものにたいしてがんばれる(モノや心情なんでも可能)。
この心理を自分でも子供でもうまくコントロールしてやることが大事。
親として、子供が納得する理由をしっかり落とし込むか、勉強を率先する環境づくりを行うことが重要となる。
私の勉強する意味は”執行猶予”?を得るため
この考えにたどり着いたのは、小学校高学年~中学1年生のころである。
親には良い大学に入って、良い就職先に入れないとよく言われたが正直心には響かなかったのは覚えている。10年近くも先のことだった、就職先というものに対して具体的なイメージがないものだったので想像できなかったためだ。
しかし、学校はみんなと楽しく遊べるので好きだったので、当時はこの期間が長引けばいいなと感じていた。
また、親も“うちはお金がないので、私立は無理”と常々言っていた(3歳年上の姉に言っていた)。子供ながら、あーうちはお金がないから、大学や高校に進むにはある程度勉強ができないといけないのかと認識していた。
そのため、この遊べる環境を維持するにはある程度の勉強ができていないと駄目なんだなぁと理解できていた。
また、ある程度の学力があれば、社会人なるまでの執行猶予(大学生活)が4年得られるのであれば、多少の時間を勉強時間に割いてもいいのではないかと認識するようになった。(それでも、勉強はほとんどしなかったのを覚えている)
というように私の勉強する理由は遊ぶための確保だった。
ちなみに高校(高専)にいったあとにはこの考えがより強化されることになる。
ごぅさん、高専ですか、勉強できるんですね~。などと他の大人から言われることが増えた。
当然有名私立など偏差値が高い学校ならなおさらでしょう。
中学校時代(公立)は勉強ができてもレッテルをはられることがなかったのに,高校等はそれなりの成績のところにいけば、評価される(高専内の評価は最底辺でも)とよくわかった。
このとき、社会的に認められつつ、遊びまくれるとはなんといい環境だとこのとき完全に理解した。
親のすねをかじってニートでもいいのでは?なんて思う人もいるかもしれない。
しかし、現実問題お金がない。
また、社会的地位(周りの人に評価される)を捨ててまでニートになる必要はないという考えも根本的にあったわけですが。
私の知っている天才Aさんの勉強した理由
さて、私の友人にはIQ160オーバーの男性がいます。
日本国内では、IQの測定には限界があるようで、IQをはかりにいった変わった人生を歩んでいる人です(IQを厳密にはかろうとすると数十万円程度費用がかかる)。
さて、彼ですが、常に学校の勉強がトップだったというとそういうわけではありません。
成績が良くない時期(偏差値35)から本当のトップになっていた時期があったようです。能力的にみれば、常にトップでいないとおかしいレベルの人です。
そんな彼ですが、学校の勉強や宿題はしっかり勉強していたとのこと。ではなぜ、彼が学校の勉強をしっかりしていたのでしょう。
それは褒めてほしいという承認欲のためだったと答えていました。
ある程度のIQ(150以上)がある人は周りの人との対人関係に困ること可能性が高い。そのため、褒められることが少なかったと語っていました。
彼にとって、勉強は褒められる(承認欲求を満たす)楽なツールだったようです。
このようになぜ勉強するのか?という問いはそれぞれ持てばいいです。
能力や環境によって変化するものだと認識しましょう。
塾講師時代の勉強をする理由の答え
中学生~高校生に勉強を教えていた塾講師時代は執行猶予だという考えを明確にいっていた(聞かれていなくても雑談として伝えていた)。
先生は遊ぶ時間を増やすために、勉強したと生徒に明言していたのを今でも覚えている。
また、現在でも教え子と食事に行くときの話題の一つになります。
生徒も最初は“?”と思っていたようだが、説明するとなるほど~と思う生徒さんもいたのを覚えています。
勉強をすることが楽な生き方の一つ
他にも、勉強することが楽な生き方の一つだという話もした。
なぜ、勉強するのか?それは楽だからである。
なぜ勉強するのが楽だという話になるかというと、多くの人がたどった道である。例としてあげるなら登山のようなもの。最初に登る人は山の情報もなければ、舗装された道もない。
そのため、登るのは非常に困難である。
しかし、多くの人が登った山には、その山の知識があり、対応策も見つけやすい。多くの人が登れば、道にはロープや階段なんかもできるかもしれない。
多くの人がたどるのは容易な道になりえるという話。
他の例えでいえば、googleの検索なんかに例えたりもした。みんなが経験したものには類似の事例があるが、特殊な事例は検索エンジンにひっかからない(事例が少ない)など。
その子供の経験や興味のある分野に焦点を当てて、例示を示してやると恐ろしいほど簡単に理解する(実践するかは別だが)
このように多様な考え方を示して、腑に落ちれば勉強する理由が明確になる。
当然勉強の意味に正解も間違いもない。
重要なことは子供が自分にとっての勉強の意味を見つけ、勉強を行うようになること。
親が納得する必要もないし、親の考えを押しつける必要もないことを理解してから話そう。
家庭の経済状況をしっかり明らかにすることが重要
さて、なぜ勉強をしないといけないのかという問いに対してはそれぞれの考えを持っていいものである(完璧な解答は必要ないし、そもそも必要はない)。
しかし、この勉強をするにあたって問題が生じる。
どの程度勉強をしないといけないかという問いだ。
この答えを子供とすり合わせを行うのは難しい。
明確なゴールができていれば、勉強量も決めることは難しくない。
しかし、目標(ゴール)が決まっていない物に対して設定するのは難しいのが実情だ。
というのも、その量がベター(ベスト)であるかどうかわからないためである。
そのような状況である場合、子供に対して理解を得てもらうのは非常に困難といえる。
では、どのように勉強量を規定するかというと家庭の経済状況を一つの指標にして考えるのもあり(あくまで指標の一つ)。
私の場合、そもそも私立は行くことができないという家庭の経済状況が分かっていた。そのため、国公立の高校や大学を目標にすることが必須となった。
このようにボーダーラインが決まれば、最悪の勉強ラインが明確になる。
当然、県外の大学はお金がかかるためNGというようにきまり、おのずと勉強量が決定される(テストの点数が足りないようなら増やす、足りるようなら現状維持)。
また、県外に出たいという希望がある場合、仕送り分のお金が必要になる。
奨学金や特待生制度を得るためにより勉強のする必要がでてくるのは目に見えてくる。
(奨学金を借りればいいという話になるかもしれないが、社会人になってから苦労するだけであり、問題を先延ばししているに過ぎない)
このように現在の経済状況を明かして、勉強を促すのも一つの方法である(あえて、お金がないように生活をコントロールすると自発的に勉強するようになる可能性もある)。
まとめ
結局のところ、なぜ?勉強するのかという問いに対して、これという答えは用意することはできない。
しかし、家庭の財政状況をしっかり説明することで、子供が置かれている状況を理解させていくことは可能で勉強を促すことはできる(ローンの状況や家計簿などなるべく多く)。
また、多くの考え方や、親の考え方などいろいろな視点から説明してやり、子供の中で勉強に対しての意識付けを促す。
これを機会に将来について考える時間を子供と持つ&勉強を自主的にやる環境づくりに全力を尽くていくこととよいのではないだろうか。